自分だけが変わらないまま
昨日やったこと。
人と話した。
ちゃんと食事を摂った。
布団のシーツを洗った。
求人票を見始めた。
絵の色塗りをした。
母方の祖母の家の解体が終わった。
と、思う。
私の祖父母は現在、父方の祖母が一人残るだけだ。
甘いものが好きで、ふくよか。
帰省すると握らせてくれる万札に、いつも、どうしようもない自己嫌悪を覚えてしまう。
こんなに駄目な人間でも祖母にとっては孫。
母方の祖父母の家は、たまに遊びに行くぐらいで、そこまで長く滞在したことはない。
夏休み中に従兄妹と一緒に泊まりに行くぐらいだった。
なにしろ、この家は歩いて十五分もすれば、夏祭りの会場に行けるくらいの距離にあるのだ。
しかも、子供部屋の窓からは花火を見ることもできた。
それが全部なくなった。
別に、母方の祖父母の家に限ったことではないのだけど、どうしておばあちゃんの家と云うのはよくわからないものがいっぱいあるのだろうか。
母から遺品の整理の話を聞いたときにそう思った。
母は、形見に何が欲しいか聞いてきた。
おじいちゃんが使っていた二眼レフのカメラと、ジュニアチャンピオンコースの『世界のなぞ 世界のふしぎ』という本が欲しいと云った。ブロッケン山の怪物や、シーサーペント、魂の質量、モアの死骸など、この本から学んだことは多かった。
残念ながら本は見つからなかったらしい。
母は学生時代に買った天体望遠鏡を持ってきた。
叔母さんはミシン。
久しぶりに実家に戻って驚いたのは、家の周りにどんどん新しい家が建っていたということだった。
豆腐を切り出したかのような白い家があちこちにあった。
もともとは山茶花が咲いていた畑も、木は切られ、土地はつぶされて、大きな家がそびえていた。
あと数年もすれば、このあたり一帯に広がっている水田も埋め立てられるという。そっちは、運送会社の土地になるらしい。
変化を好まないまま生きてきた。
でも、周りはどんどん変わっていく。
自分が変化を嫌っていたとしても、そんなことお構いなしだ。
農家の人は年を取るし、もちろん親だって年を取った。
いつまでも二十代だと思っていた姉も、気が付けば三十路が近づいている。
喉の奥が冷えるような心地がした。
押し入れに入っているかび臭い布団にくるまって、これ以上の変化から目をつぶりたかった。
周りを見たくないというより、自分が全く変化できていないことから目を逸らしたかっただけなのだとも思う。
なんにせよ、動かないといけない。
でもどうしても、昔のことばかり思ってしまう。