社会的な信用
昨日やったこと。
気温が38度にも関わらず炎天下を歩いた。
本屋に行った。
崩れ落ちるようにして昼寝をした。
なんでみんな結婚するんだ。
ニートなので、自分と同じような生活を送っている人をよく探す。
ブログでも、エッセイでも、Twitterのアカウントでも何でもいい。
とにかく、この駄目っぷりでは30手前に死ぬことをなんとなく決めてるんだろう(ついでに、安楽死のこととかについて呟いてくれている人だといい)という人。
そしてもっとも重要なのが、その人が、なんとなく社会復帰の準備を進めているという点。
こういった人たちを見て、どうしたら自分もこの汚泥のような生活から抜け出せるか、なんとなく希望をもらう。
プールを真緑にするどろどろした藻だって、光合成くらいするのだ。
しかし、そういう人に限ってだいたい結婚する。
それか恋人がいる。
「恋人ができるくらいなんだから、そりゃ社会復帰も上手くいきますよ」
という感じで、なんとなく失望する。
自分と同じだと思っていた人が、別の、キラキラしたグループにいると知ったような。
恋人とか結婚は、少なくとも私にとって、社会的地位の一種に他ならない。
仕事、恋人。
どんどんと持ち家や子どもといったものが減少していく中で、まだ残っている、日本で生きるものとしての社会的な信用が、その二つだ。
少なくとも、この二つを持っていれば、信用される。
どっちも持っていない人間は迫害される。
たとえ、どんなにそれ以外の部分で優れた結果や才能をきらめかせたとしても、この二つがなければ、いつまでも人間扱いされない。