『おとうさんがいっぱい』と就活
今日やったこと。
買い出し。
洗濯。
生きている希望が見いだせないのは毎度のことながら、今日は特にひどいと思う。
『おとうさんがいっぱい』という小説(児童向け)を初めて読んだ。
ある日、「ぼく」のおとうさんが物理的に増えてしまうという話。
二人どころか三人に、そしてそれは「ぼく」のいえだけではなく他の人の家の「おとうさん」も増殖してしまって…という、ブラックユーモアというかホラーというか、そんなテイストの話だった。
当然、本物の「おとうさん」はいったいどれなんだという話になるわけだが、それが、筆跡にしても記憶にしても、すべてがすべて一致しているのである。
結局、どれが本物なのかわからないまま、「ぼく」はおとうさんがいっぱいいるという生活に慣れていく。おとうさんたちはローテーションで仕事に行ったり家事をしたりと、割と快適そうだ。
しかし、とうとう大臣や警察官までも(彼らも当然人の子なので、なにがしかの「おとうさん」である人は多いのだ)が増殖してしまい、政府は、「お父さんをもとの一人に戻す」という決まりを作る。
さてどういった方法で、元の一人を割り出すのかというと、なんと面接なのだ。
突然の就活である。
ますます就活っぽいのが、「ほんもの」ではなくて、「よりよい」個体をその増殖したおとうさんの中から選べと云うのである。
いよいよ就活である。
そして、その面接官は誰なのかと云うと、「ぼく」だ。
当然だ、「ぼく」が今後いちばん「おとうさん」と接する時間が長いのだから。
おとうさんは、「ぼく」にたいして必死にアピールをする。
読んでいる側からすると、どうしようかなと彼らの話を細かく聞きたくなるのだが、「ぼく」はそうではない。
なんとあみだで決める。
そして、選ばれなかった「おとうさん」は政府の役人に連れられてどこかに行ってしまう。殺しはしないだろうが、おそらくまともな生活ではないのだろうという予感がなんとなくする。昔だったら施設とかにまとめて収容しておくのかもしれないが、現在であれはおそらくこういった、「選ばれなかったお父さん」は、労働力のひとつとして使われるのではないだろうか。しかもかなりの低賃金で。
というのはまあ私の妄想なのだが、実は、この『おとうさんはいっぱい』は『絶望図書館』というアンソロジーに収録されていたものであり、その中の「人が怖い人へ」という項目のところに置かれていたのである。
どうして、人間を怖がる人にこの物語を薦めたのだろうか。
いまだに少し考えている。