おやしらず
自分の書きたいことをいかに人に読みたいと思わせるか、というのがエッセイの基本らしい。
そもそもエッセイ自体があんまり得意ではない。
自分の考えを書くとこんがらがって独りよがりになる。
積み木のように理路整然としていない。
物理的な法則が働いていない。
働いていたとしてもそれはよくわからない法則で、直視すると死にたくなる類のことなのだろう。
何もしない自分をかっこいいと思っているからこんな文章を書ける。
どこか一歩離れたところから、いつか死ぬんだという保険をかけて人をあざ笑っている。
いつか死ぬのにどうして無駄なことを続けているのだろうかと。
死ぬまでにやりたいこと
今日やったこと。
DVDを借りに行った。
死ぬまでにやりたいことを書いた。
死ぬまでにやりたいことを100個あげるというものがあった。
そうすることで、次に自分がどう動いたらいいのかが明確になると云うのである。
私はどうにか頑張って書き出してみたのだけど、50個書き出すのがそもそもできない。
台湾のとても大きなカステラが食べてみたい。
海遊館に行ってみたい。
CoCのシナリオ集を出してみたい。
そういったことを100個書き出せというわけなのだが、本当に難しかった。
だったらやり方を変えてみて、マインドマップのようにしてつなげていったらどうだろうかと、それを試してみたら、今度はポンポン出た。
なにしろ派生させていく形式なのだから、同じような願望、欲望が、だいたい塊になってくれる。
なんとなく、生きていたいような気もしたが、罪悪感には勝てなかった。
罪悪感。
どうせだめだという気持ち。
すぐに破って捨てたくなった。
たんなる日記
今日やったこと。
掃除。
洗濯。
ブックスタンドの購入。
文庫本用のブックスタンドを百均で買う。
なにかと文献を見ながら何か書いたりするときに重宝するのだけど、あいにく家には、A5サイズ以上のものしか置けないようなのしかなかった。
大学時代から読書ノートをつけているのだが、左手に本、右手にペンという状態はとても書きづらく(ノート自体が少し分厚いため、押さえていないと勝手に閉じてしまうのである)、文明の利器に頼るというわけだ。
ブックスタンドは、普通の文房具屋で買うと大体1200円以上する。
実際、木製の土台にブラウンの針金のついたシックな商品が、たまたま通りがかった店に並べられていたけれど、それくらいの値段だった。
かたや私が購入してきたものはというと、すぐに経年劣化で粉々に砕けそうな、ファミコンみたいな色合いのプラスチック製品である。
さっきのやつの六分の一の値段なのだから仕方がない。
それから、着物のギャラリーに立ち寄った。
別に着物を着る予定はないのだけど、表から見えた、青い着物が印象的で、ついつい入ったのである。
特に気に入ったのは、灰色の絵の具の中に、ぽたりと、まるで陶器の釉薬のように浅葱色とラベンダーブルーが差し色として垂らされた、蓮の帯である。
もともと蓮の花は好きなのだが、その硬質で、霧の中にふっと浮かび上がるような描き方が特に私好みだった。
からだのちょうし
今日やったこと。
耳鼻科に行った。異常はなかった。
筋トレをした。
今日はとてもとても疲れている。
わからない。
どうしてこんなに起き上がれないくらい身体が重たかったのか。
天気が悪いせいなのかもしれないし、病院に行ったからなのかもしれない。
数日ほど前から耳が痛くて、それを見てもらった。
中耳炎や外耳炎ではなく、耳下腺が少し腫れているからそのせいなのかもしれないと云われた。
抗生物質を飲み、胃薬を飲んで、大人しくしている。
そうそう、今日は、『街角の書店』という短編集を読み終えた。
ずいぶん時間がかかった。
これは〈奇妙な味〉と評される短編がたくさん収録された、アンソロジーである。〈奇妙な味〉というのはこの本の冒頭に記されており、江戸川乱歩が定義したものらしい。
夫を太らせ、品評会を開く妻たちのための実況中継。
ディケンズの小説を好む老人の家に囚われた男の話。
赤い心臓と青い薔薇のタトゥーのある、奇妙な男の正体は?
そんな話が18もつまっている。
中でも、タイトルにも冠されている「街角の書店」は、一度でも何か小説や文芸にまつわる創作をしたことがある人間にとっては恐ろしい話だ。
なにせその書店にあるのは、「自分が生きている間には絶対に書き上げられない、自分自身の最高傑作たる作品」なのだから。