熱中症になりかけた話
今日やったこと。
ずいぶん歩いて、商店街にある百均に履歴書を買いに行った。
もうそろそろで八月も終わるが、まだまだ暑い。
今日はなんだか調子が良かった。
いつもほど無気力ではなくて、少しだけ前が見られるような気がした。
蝙蝠やカボチャのモチーフが並ぶ店内。
私はハロウィンにまつわるモチーフがとても好きだ。
ただ、ハロウィンと云うイベント自体は参加したことがないのでわからない。
紫や黒やオレンジや、お菓子、怪物のモチーフが好きなのだ。
炎天下の中、いつもはいかないほうの通りにある商店街に足を向けた。
外はとても暑かった。
日傘と云うしゃれたものを持っていない私は、そのままの状態で外に出た。
歩いている最中は運動に意識が向くので、自分の体調の変化に鈍い。
買い物を終えてアパートに着いた瞬間にどっと疲れと頭痛が出て、慌ててクーラーをつけ、しばらく休んでいた。
おそらく熱中症一歩手前だったのだろう。
麦茶をちびちびと飲みながら横たわっていた。
けれどなぜか、よくわからない達成感があった。
余白を埋めていく
昨日やったこと。
簡単な筋力トレーニング。
料理(鶏むね肉の下処理をした)。
タイピング。
数日ほど、自分の日常や感情について書くのが嫌になっていた。
自分を見つめるのが嫌だったのだ。
Webから応募した求人は結局断ってしまった。とても自分にはできっこないと思ってしまったからだ。
自分が傷つくのが怖いだけ。
責任を取ることが嫌で、ずっと逃げ続けている自覚はあるけれど、どうしたらいいかわからない。
自己責任という言葉が溢れている。
自己責任と云うなら最初から無関心でいてくれればいいのに、Twitter等では、自己責任だと他人を責めたい人がたくさんいる。自己責任は万能な言葉だ。「人のせいにするな」「自分が悪い」「運がなかった自分を責めろ」「努力がまだ足りなかった自分を責めろ」「弱い自分を責めろ」。
まあ私に関して言えば完全な自己責任なので、何かいわれたところで噛みつくことはできなまい。
自分のやりたいことについて考える。
本を読みたいし、TRPGのシナリオを書きたい。
目に見えて残るものを、そこに作って置いておきたい。
たぶん、就職活動がどうしても苦手なのは、明確な結果というのがわからないからだ。どういう手順で行えば、その結果が確実に出るのかと云う方法論がどこにもない。あるにはあるが、それは自分の能力的に無理なことであったり、あるいはひとの悪意が働いていたりする場合がある。
月曜日がやってくる
昨日やったこと。
求人にWeb応募した。
契約社員にWebから応募した。
やけくそになって、どうせ個人情報を入力するだけだからと痛む胃をなんとかしながらようやく送信したのだった。
けれど後から考えてみて、どうしたって、自分にはできなさそうだという気ばかりしてきた。とても自分ではさばききれない。明らかに自分には向いていない。いきなり始めるには少しばかりハードルが高すぎるのではないか。
だから、今日、電話をかけて、応募を取り消してもらうことにした。
どうしようもないやつだと思うが、いきなり大人数の接客が自分にできるとは到底思えない。
秋が近づくにつれて死にたいという気持ちが強くなってくる。
自分は何がしたいのかわからない。
本当は知っているけれど、それが、どうしたって叶わないと思っている。
もっと早く気づいていたら、自分は変われただろうかと、後悔ばかりが波のように押し寄せてきて溺れ死ねばいいのにと、そればかり考える。
社会不適合者だからという言い訳であるが、適応できない生き物から淘汰されていくのは何億年も前から決まっている事実だ。
せめて傷は浅いほうがいい。
誰にも迷惑をかけたくない。
誰かに迷惑をかけることによって傷つくことを避けたい。
きしねんりょ
昨日やったこと。
買い物に行った。
DVDを返しに行った。
本を買った。
涼しい一日だったのを覚えている。
本来の夏はあれくらいの気温だったというけれど、平均気温35℃に慣れてしまった身体には寒いくらいだった。
こうして少しずつ適応していって、その前の暮らしなんて忘れていくのだろう。
積もっていくたびに押し込められて圧縮される。
死んでしまいたかった。
正確にはどこかに消えてしまいたかった。
自分が生きていることがどうしようもなく嫌だった。
どうして生きているのだろうかと、生きていることに意味なんてないのに問いかけてしまう虚しさが気持ち悪かった。
人間を信用していない。
だから、ときどき見かける善性に涙が出る。
砂の粒の中に混じった真珠のようなものだ。貝殻や珊瑚の死骸はあるけれど、真珠はまずない。
砂の中にあるものの大半はゴミだ。
海藻と絡まり合いながら、海中に住む生物の消化器官を詰まらせる。
そういったビニールの切れ端のような生き物が自分だ。
けれど、真珠の核もまたゴミなのだ。
要は性悪説の話である。
人間を信用していないと、人間を馬鹿にする。
自分も同じ穴の狢なのに、だ。
人間を信用していないと、傷つけられることにひどく怯える。
信用していないなら最初から期待していなければいいのに、愚かなことだとわかっている。
利己的であるがゆえにちぐはぐな行動をしてしまう。
それがひどく苦しく、自分が醜く、ゆえに、死にたいと思う。
壜に入れる
昨日やったこと。
歯医者に行った(虫歯はなかった)。
絵を描いた。
街に出た。
誰にも読まれない日記を書いている。
そもそも、日記なんて、そっと本棚の奥にでも隠しておくようなものだなんて思っていたから、誰かに読まれないほうが自然なんだろうと思う。
誰にも読ませる気がないのに、ブログを書いている。
ブログは、「誰かに読ませるための」日記だけども、生憎、このブログを読んでいる人はいない。
まあ、ブログなんて掃いて捨ててもまだ余るほどに(10tトラック何台分だろうか)溢れているし、インターネットのプランクトンのようなものだから、誰かにピペットで偶然吸われでもしない限り、ここにたどり着く人はいない気がする。
誰かに読まれたいのか読まれたくないのかはわからない、
批判されるくらいなら読んでほしくないとも思うし、批判であってもいいから誰かとのつながりが欲しいと思うときもある。
けれどそれは一過性のもので、一度批判されればもう二度とここに戻ってこようとは思わなくなる可能性のほうが高い。
自分が嫌いなのに自分が大切なのだ。
もともとはセルフカウンセリングの一環として始めたものだから、読まれることを目的としているわけではなく、あくまで、とりとめのない考えやその日の出来事をまとめるメモのようなものにすぎない。
迎え盆
一週間ほど、実家に戻っていた。
ネット環境もパソコンもないため、ブログの更新はその間出来なかった。
いったいどんな家なのかと思われそうだが、案外そんなものだ、田舎なんて。
私の親は基本的に自宅でパソコンを使うことはない。
昔はノートパソコンが一台だけあったけれど、もっぱら年賀状を作るのに使うぐらいで、それ以外では私と姉が使うぐらいだった。
二人とも出て行った今となっては誰も触ることはなく、ネットも解約して、ほこりをかぶったままだ。
このパソコンがなければ、私は小説や文章を書こうという気にはならなかっただろう。中学から高校卒業まで、私はずっとそのパソコンで雑文を書き散らしていた。
はじめて、二次創作の小説のサイトを立ち上げたし、小説も定期的に更新した。
広大なインターネットの海の一端に触れた。
おかげで、今はその中毒症状に悩まされているのだが。
自分が社会不適合者だという自覚は大いにあって、文章を書く人間になれば、この不適合な部分が許される気がした。
なるほど作家か、ならばまともでなくとも仕方がないだろう、と。
まともではないことへの免罪符として、文章を書く人生が欲しかった。
今も、まさに、そうだ。
適合できない痛みを誰かに赦してほしいから文章を書いている。
思うに就活を失敗したり、短期間で正社員を辞めた人がブロガーになるのはそういう免罪符を求めているからなのではないかと云う気がする。
女王蜂とキロネックス
今日やったこと。
会話をした。
朝早く起きた。
あまりTwitterを見なかったら、情報の多さに眩暈がした。
キロネックスというクラゲがいる。
ものすごく強い毒を持つ生き物で、たしかシャーロック・ホームズに出てきたのはこれだったか。
蛇が出てきたのは覚えているが。
今日見ていたDVDに出てきた、触手を持つセキュリティマシンとキロネックスがよく似ていて、
「なんだっけ、あの、ほら」
「ストッキングを通さない触手を持ってて」
「エキノコックスみたいな名前のくらげ」
とうんうん唸っていた。